あえて選んだ茨道

2016年1発目の日記となる。

 

 

いきなり世の中では解散騒動や不倫や献金や寒波など初っ端から飛ばしているが、

自分も例外ではなく飛ばしている。

 

障害対応の現場に入り4ヶ月。

正直、あまり活躍できていない。

 

初めての現場で戸惑うことはあるが、4ヶ月たっても一向に相手の話が聞き取れない。

 

先輩のアドバイスや自分なりに考えた対策(聞いた内容をメモを瞬時に書く)など、改善に向けた努力はしているが、なかなか難しい。

 

26日 会社に現場の契約が満了する3月で退職するという意思を伝えた。

 

が、ここからが自分が選んでしまった茨の道の始まりである。

今週の出来事を覚えている限りできるだけ記録したい。

25日は前日から仕事のことで不安になり、まったく眠れずに朝を迎え、そのまま仕事を休んだ。

26日の業後、まず自社の入社時からお世話になっている営業の兄貴分の方(香川照之似)に初めて退職の意思があるということを伝えた。

その営業は「今の○○(俺)の担当営業も予定があり、いない。ここで話しても話がおかしな方向に行ってしまうのを避ける為に、担当営業がいる日に改めて話そう。」

そこで自分は了解し、その後29日の帰社日に営業と話すことを約束した。

 

27日。

この日、現場のサブリーダーから業務も落ち着いてきた夕方、呼び出された。

内容は、この4ヶ月間でのOJTの現状の進捗と、現場で仕事をやってみて今の率直な気持ちを聞きたいとの事だった。

この現場では3ヶ月くらいで業務を一通り覚えて独り立ちするのが理想計画らしいが、遅れていることを指摘される。

 

そして、ここでサブリーダーからの確認の質問が茨の道へのいざないであった。

「ぶっちゃけでいいんだけど、この現場をがんばって続けようという気持ちはある?」

俺はあまり間髪を入れず答えた。

「この現場ではコミュニケーションも養えるし・・・ですが元々ネットワークのエンジニアとしてログの会席とか設定とかを学びたかったので、正直、春まではがんばります。」

 

29日。

帰社日。オフィスは月末の帰社イベント中だったので、地下の喫煙所で担当営業に改めて退職意思を伝える。

営業の反応

営「現場で話したでしょ?」俺「まあ少しですが。春までは現場でがんばりますとお伝えしました。」営「これから現場の体制として仲介の営業とも打ち合わせして地盤を築こうとした矢先だったのに」

28日に現場が営業と打ち合わせをし、そこで自分の気持ちを伝えたそうだ。

 

現場で「ぶっちゃけどうなの?」という問いに正直に答えてしまったのがもとで、だんだんと影響していることにそこで気づいた。

現場の人を始め回りに迷惑をかけることに早々なってしまったのには申し訳ないと思う。しかし、現在思っていることを正直に話さないといけないと思い、率直に話した結果だ。

 

結局、営業は「退職の意思は分かったから、事業部長(幹部)に来週以降直接話す機会を作ろう」ということになった。3回目の退職の意思を伝えなければならないのか、と思ったが、これは想定していたことだったのでどうも思っていない。

 

次の職場は決まっていない。会社の就業規則に則り、退職の2ヶ月前までにほうこくすることを守ったために、今伝えた。

 

茨の道を歩くことになってしまったが、これはもう受け止めるしかない。

 

酷い文章を書いたが、覚えている記憶を忘れないために殴り書きした。

適宜修正しながら今後も更新していきたい。